タクシーで基地ゲートに入る。横は陸自の駐屯地、近くに空自の高射砲陣地もあり、
大村市は3自衛隊が存在するめずらしい街だ。
大村基地は旧海軍航空基地で、零式水戦を製造・配備していた。
当時1万人の街に5万人の工場労働者を導入、一大軍事都市となるも 数百機のB29に爆撃されている。
戦後 滑走路は民間利用されたが、大規模国際化のため現在の新空港に移設、旧滑走路は海自専用となった。
格納庫は旧軍のままで屋根こそ葺き替えたものの、柱はそのもので頑丈。
しかも3棟つながったスルー状態の巨大な格納庫だった。
ゲートからタクシーで群指令本部まで乗りつけると 入口に5名も敬礼して出迎えてくれた。
そこで植月政則海将補(第22航空群司令)と土肥修1佐(第124航空隊司令)と会った。
まずFトイズの製品を見せ、次回SH-60の開発について説明した。群司令からは機体番号の
リクエストまで飛び出す楽しい会話となった。
続いて土肥1佐の私室で会話、もとHSS-2Bシーキング乗りでDDHに職人技で降りていた人物。
DDHの甲板は曲線で、着艦の際 妙な感覚になるとか。
その話は最高で、こちらの質問に細かく答えてくれた。
取材したのは124空だが、120番台は艦隊任務、110番台が掃海・100番台が陸上任務で3ケタ目は護衛艦隊をさす。
従って館山の121空は横須賀の第1護衛艦隊、同じ大村でも122空は佐世保、123は舞鶴、そして124空は
遠く呉の第4護衛艦隊に搭載される。
SHの時速は250キロ、追い風なら400キロは出るそうだが、呉の艦隊に出会うまで90分くらいかかる。
搭乗の説明を受けていよいよ救命胴衣とメットを装着、認識票を首からさげるが これは墜落した後にいる確認用・・・
途中グレー新塗装のSH-60Jが帰ってきたので撮影
新造機からこの塗装だが、やがて新型のSH-60Kになる。今のJは中が狭く、
担架が入らないので怪我人には不評だとか。
さて搭乗・・が小雨 上が白くしたが黒い雲は危険大だそうだ。
頭をおさえて搭乗、12号機だった。
中でシートベルトとマイクピンをセットしてもらうと すぐ離陸 スムーズだった。
中は狭く暗い。あちこちから電装用に冷気が噴出し 水がしたたってた。
米軍機みたいな無骨さだったが三菱製。インカムでパイロットにたのむと OKが出て 左右上下運動をしてくれた。
特に下げはUSJの「ジュラシックパーク」なみで、上げは強くGを感じた。
もちろん軽くやってくれたのだろうが さすが軍用機といわざるをえない。
ハウステンボスを望みながら機体は北へ 佐世保の手前でターンしてもどった。
機内は振動と爆音で大変。インカムも素人の私にはよく聞こえない。
それでも後方は気象レーダーなどを操作していた。右はソナーが入った筒。下がむき出しだった。
下にタンカーを見ていると ミサイル艇・DD・掃海艇などが見えた。さすが佐世保!
左ドーム窓からの視界は良好。雨粒の流れ方がおもしろかった。
約30分 あっという間に着陸終了。完全にローターがとまるまで外には出れない。
外では万一のため赤と緑の消火器を持った隊員が待機していた。
着陸するとローターの回転がじかに体に感じる。
建物を出るとき 124空のパッチをハイ・ロービジ2種ゲット。
その後 中田隊長・宮元1尉の案内で03号機の写真撮影。
特筆すべきは前両側ドア内側に灰皿があること。
米製1号機には無かったそうなので 三菱オプションか?
飛行中でも小窓を開けて喫煙可能だそうで、今の世の中ではうらやましい限り。
残念ながら飛行前のためコクピットの写真と側面のソノブイ穴(25本)は撮影できず。
タクシーが待っていたが最後にリクエスト、上空から見えた基地端のシーキングを見せてもらった。
これは地上消化班の訓練用機体で 右が黒・左がノーマル(白)のめずらしい機体。
ローターや脚もなく 朽ち果てていたが いい塗装だったので喜んでシャッターをきった。